私たちの記事に価値があります。
例えば、ブログには「続きを読む」という部分がある場合があります。
それはほとんどクリックされることはありません。
ほとんどの読者はトップから移動することはありません。
それは紛れもない事実です。
ネットサーフィンをしていればみな経験があるように、こういうクリックをすると不用意にウィンドウが開いてしまう悪質なものもあります。
だからなかなか辿り着いた先から進むというのは勇気がいることです。
そうしてまた、それは手間でもあります。
どんなに話題のテーマが関心のあるものでも、わざわざクリックして続きを読む人というのはあまりいないものです。
アクセス解析をしてみても、全体のほんの数パーセントのアクセスしかクリックがないのが普通です。
なのになぜ「続きを読む」以降に記事を書くのでしょうか。
どうして私は「続きを読む」に記事を書くかというと、その数パーセントの人への報酬として書いておこうと思うからです。
それは次の記事の予告編であったり、裏話であったり、推測に過ぎないが確かに言えることだったり。
あるいは本当にお得な、秘密にしておきたい情報だったり。
表と裏といったら変ですが、コンテンツを深掘りしたかどうかで得られるものが違う、そういう差別化はあっていいと私は思います。
なぜならブログは「価値」を提供しているものだからです。
私は、だから差別化をしてそのことをハッキリさせたいと思っています。
こういう考え方をするのは、実はアフィリエイトを貼っているからに他なりません。
アフィリエイトはブログ記事の価値の裏づけとなっているからです。
私がブログをやるようになってから、私のネットとの向き合い方は「価値あるものを発信する」うういう考え方に変わってゆきました。
だから私の記事、私の発信することには価値があり、公正に扱われるべきだと私は考えています。
つまり5ちゃんの落書きのような無責任な書き散らしではないのです。
ネットに残り続けるものでもありますし、私は情報の発信に誠実にならないといけません。
また、慎重である必要もあります。
そしてなにより、フェイク、嘘はいけません。
一方、他のメディアの情報はどうでしょうか。
今、ウクライナ紛争に関してはありとあらゆる嘘が公然と記事になっています。
それは「情報発信」としてはとんでもない話です。
裏づけなどどこにもなく、デマ、フェイクであることはすぐに見破られています。
実際、西側のメディアでウクライナに入り込んで自由に取材活動をしているメディアはほとんどなく、誰も本当のことが分からない状態なのです。
それだというのに、西側政府寄りの憶測やウクライナ側からの一方的な発表が一人歩きしています。
特に日本のウクライナ寄りの記事はひどい。まるでデタラメばかりです。
米国政府すら、これは「情報戦」で、つまり「嘘もある」としているというのに、ウクライナ紛争と関係のほとんどない我が国でありながらメディアはウクライナを担ぐことばかりしています。
こんなことでいいとは私にはとても思えません。
自分のいるこのネットという情報空間すらひどく歪み始めているのではないか、私はウクライナの正義を盲信する人々を見るにつけ心配してしまいます。
まるでかつての大東亜戦争の大本営発表ではありませんか。
最近も「走りながら人を火葬にするロシアの殺戮マシン」などという、実にまがまがしい記事がネットを駆け巡りました。
しかし、あれは炊き出しのパン焼きのためのものだったことが分かっています。
そのパンを配る写真すらあります。
ロシア軍が炊き出しをしてパンを配っていたことがあった。今もやっているのかも知れません。
このマシンとともにパンが配られている写真がいくつもあります。
それは紛争状態での食糧支援のために、ロシア軍が大量のパンを焼いて配布するためのものでした。
それがロシア軍の残虐性の強調という敵性プロパガンダのために歪められ、「走る火葬場」などと、まるで子供じみたフェイクになってネットを駆け巡ったのです。
しかし、これを煽った記者も、はっきり「ロシアの残虐性の証拠である」などとして明言した評論家からも一切の謝罪はありません。
ましてや彼らは間違いを認める記事さえ書いていません。
そして彼らは既成のメディア側にいて報酬を得て、のうのうとしている。
彼らはアフィリエイト報酬どころか、どこからか原稿料を貰って稼いでいる。
そんな情報に「価値」があるでしょうか。
価値があるから広告を貼っているのであり、情報発信は無償である必要はありません。
だから私はアフィリエイト広告を貼っています。
収益があろうとなかろうと、それで私は納得ができるからです。
ウクライナ寄りの記事を書いているような、既成メディアからスピンアウトしたネットの記者たちは、よく「陰謀論を信じる人々」などと主張を展開するものです。
あるいは「デマを撒き散らし、彼らはアフィリエイトで稼いでいる」などと批判します。
アフィリエイトがどれだけ利益になると仮定しているのでしょうか。
それだけで彼らは「何も分かってない」ことがわかるでしょう。
彼らこそ「走る火葬場」のようなフェイク記事を発信し、プーチンがアルツハイマーだのロシアがサリンを撒いて虐殺しているだのと、あることないことを書き立てて報酬を得ている輩なのです。
メジャーなところの原稿料、その報酬はアフィリエイトどころではありません。
これに対し、報酬が発生することはないにしてもwww、アフィリエイトがあることで少なくとも私の書くことには価値があるという裏づけにはなります。
私は公正に情報発信をしていて、誰から依頼されたり人を操作しようとして記事を書いているわけではないからです。
それが私の「アフィリエイトの勧め」の理由、そんな結論になります。
もともと、ただ呟き、ただ言いたいことをタレ流しているだけでは意味がない、そう気がついたのはヤフーの知恵袋がキッカケでした。
それから私はブログとアフィリエイトをやるようになりました。
私は長く知恵袋で活動していました。
あそこはコメントの書き散らかしをするだけで、何もメリットなどありません。
無償の善意だけでしかありませんでした。
知恵コインが溜まるというのはあります。
しかしそのコインは何にもならないものです。ただ溜まっていくだけですw。
私の場合、最終的には溜まった知恵コインは800万ぐらいはあったでしょうか。
ところがある日、いきなり知恵袋のアカウントが予告なく剥奪されてしまいます。
私の書いたことはほとんど読めなくなってしまいました。
暴力的な書き込みでもなかったし、差別的なことでもありませんでした。
ただ皇室批判をしただけです。
ヤフー知恵袋も、そういう独善がまかり通っているネットのひとつです。
グーグルにしてもそうですが、ネット社会がこういう勝手なアカウント剥奪や規約をタテにした専横を黙認していることは問題だと思うのですが・・・。
ともかく、それからです。
私はブログをやるようになりました。
自分の記事をネットに残し、発信するなら責任を持ちたい。
そしてそれは価値がある、と、アフィリエイトを貼るようになりました。
アフィリエイト広告はその価値の裏づけになってくれるものです。
収益が全くなくとも、「収益になる可能性がある」、それだけでいいのです。
スポンサーがつくこと、それは記事がスポンサーに都合がよいからではありません。
発信が有益で誠実なものであるから読者の利益になる、その「価値」があるから。
よく言われることですが「人に伝えたい」だけの善意は結局はあまり信用が出来ません。
それは善意の建前ゆえに必ず無責任に傾いてしまうものです。
「よかれと思って言った」「面白いだろうと思って言った」、誹謗中傷の加害者として送検されてしまう人はよくこういうことを言い訳にしています。
善意が暴走するのです。
何より、報酬が生まれようがないのですから、別なやり方、別な意図があるのかも知れません。読者としては疑わざるを得ない。
これに対し、アフィリエイトを貼っているなら嘘や思ってもいないこと、やってもいないことは書けません。
自分のブログというメディアの信頼に関わることだからです。嘘は書くべきではありません。
そして、XXX社の、なんていうもの、差し障りがないことまでボカして書くこともすべきではありません。
それは嘘でもデマでも妄想でもないからです。
でも今、そうした伏字を使って真実性を装いながら、実は妄想やフィクションという記事どれだけが溢れていることでしょう。
これをネットでは「脳内記事」なんて言って馬鹿にしていますが、それがどれだけ情報というものを歪める大罪を犯しているのか。書いている人たちには分からないのでしょうか。
そういう伏字の発信は思わせぶりで、嘘が含まれていると疑われることも多いものです。
「中身があることを発信するなら、アフィリエイトを活用すべきだ。」なんて言います。
これは「収益化」ということを念頭にした言い方なのでしょうが、何もそれは「せっかくだからもったいない、儲かる。」そんな意味ばかりではありません。
その情報発信の「価値の裏づけ」としてアフィリエイトを活用すべきだ、そんな風に考えるべきだと私は思っています。
収益になるかどうかはあまり関係がない。
これが私のアフィリエイトの勧めです。